【続編】郷愁漂う古都コインブラー伝統ある大学と自然豊かな川辺を訪ねる

ポルトガル第三の都市コインブラ。コインブラはリスボンの北約200㎞に位置し、「娯楽の街リスボン」「商業の街ポルト」に次いで歴史ある「大学の街コインブラ」として知られる、定番の観光地です。

街の中心には肥沃なモンデゴ川が流れ、丘の上にはヨーロッパ最古の大学の1つであるコインブラ大学があります。大学のあるエリアをアルタ(Alta=高い)、今でも商店が並ぶ川に近い下町をバイシャ(Baixa=低い)エリアとして2つに分けています。

大学が始まる10月には、ポルトガル国内はもちろんのこと、世界中から学生たちがこの街に集まります。夏の間は学生たちがいなくなった寂しさを消すように、サマーバケーションを楽しむ多くの観光客で賑わいます。

学生と共に歩んできた街は、学生だけではなく住民たちも730年以上続くコインブラ大学の存在に誇りを持ち、普段から外国人留学生も多く見かけることから、街中や商店でも優しく迎え入れてくれる温かい街です。

前回はコインブラ大学を中心に定番スポットを紹介しましたが、今回の続編ではコインブラの街の歴史や自然に触れたり、コインブラからちょっと足をのばしてプチショートトリップしたりできる魅力的なスポットを紹介していきます。

コインブラ大学は行ったことある、という方も訪れておきたいスポットはまだまだありますよ!

前回の記事をご覧になっていない方は、まずこちらから♪
(※「歴史と概要」と「基本情報」は同じ内容です。)

郷愁漂う古都コインブラー伝統ある大学と自然豊かな川辺を訪ねる

歴史と概要

コインブラは、ポルトガル初代国王ドン・アフォンソ・エンリケス(D. Afonso Henriques)によって最初の首都に選ばれました。(1255年まで)日本の京都にも似た歴史と伝統を感じさせる街並みが魅力的です。

コインブラの歴史の転換点は、711年からのイスラム勢力のイベリア半島進出に始まります。地理的利点からイスラム統治下には、要塞の役割も担う宮殿が築かれ、何世紀にもわたって発展し続けました。今でもその城壁の名残があります。

街の中心部にある玄関口「アルメディーナ門(Arco de Almedina)」に名付けられているように、イスラムの言葉で「街」を意味する「アルメディーナ(Almedina)」がイスラム支配時代の面影を残しています。(ポルトガル語でal-が頭に付く単語は、イスラムの言葉に由来すると言われています。リスボンのアルファマ(Alfama)など。)

イスラム時代の宮殿は、後に最初のポルトガル王朝の王宮になります。

肥沃な土地に恵まれ、要塞に守られた街には多くの有力者や聖職者が定住するようになり、コインブラは12世紀に黄金期を迎えます。国王ドン・アフォンソ・エンリケスは、教会の建設やイスラム支配前のローマ時代起源の水道橋や噴水、通りなどの再整備に力を入れ、文化的都市へと成長させたのです。

13〜14世紀には、政治的・軍事的拠点と商業拠点の対立を統合することに成功し、街はユダヤ人居住区、旧市街、新市街に分けられました。

1290年創設のコインブラ大学も、その所在をリスボンに定めたり、またコインブラに戻したりを繰り返しますが、ようやく1537年にコインブラに落ち着くことになります。

18世紀に入って、リスボン大地震(1755年)の再建を任されたことで知られる宰相「ポンバル侯爵(Marquês de Pombal)」の大規模な教育改革によって、コインブラ大学は学部新設や高度な教育カリキュラムが確立され、名実ともに国内最高峰の大学になりました。

サラザールの独裁体制下では、1940年代に低所得者向けの住宅エリアが、80年代には新興住宅街が整備されるなど、近代化が一気に加速します。

実はコインブラにも1911年から1980年までの間、リスボンで見かけるような市電が走っていたんです。今でもモンデゴ川沿いにあるコインブラ水道局には車両が、通りには線路の跡が残っています。

2013年のユネスコ世界文化遺産選定以来、コインブラには以前にも増して多くの観光客が訪れるようになり、歴史ある大学で学ぼうとする学生たちで街は活気に満ちています。

コインブラの街は、単に「大学のキャンパスがある街」ではなく、大学の伝統や文化、特に学生たちが生み出した歌(ファド)や習慣(お祭り)などが街の歴史の一部にもなっている、独特な雰囲気を秘めています。

基本情報

まずはコインブラへのアクセス方法と所要時間の紹介です。この後に紹介する見どころのスポットの基本情報は、それぞれの紹介欄をご覧ください。

アクセス

アクセス難易度:★☆☆
★☆☆…簡単!ポルトガル観光定番スポット
★★☆…やや難。大都市からちょっと足を伸ばして
★★★…奥地。電車やバスを乗り継いで

コインブラはリスボンの北約200㎞に位置し、「娯楽の街リスボン」「商業の街ポルト」に次いで歴史ある「大学の街コインブラ」として知られる、定番の観光地です。

リスボンまたはポルトからバスや鉄道1本で行けるため、アクセスも良好。

中部地方観光の玄関口として、世界遺産の街としても人気を集めています。

リスボンからのアクセス

・バス:リスボンの地下鉄ブルーライン(Linha Azul)のジャルディン・ゾロージコ(=動物園という意味。Jardim Zoológico)駅隣接のセッテ・リオスバスターミナル(Terminal Rodoviário de Sete Rios)からコインブラバスターミナル(Terminal Rodoviário de Coimbra)までおよそ2時間30分(ヘッジ・エクスプレス社(Rede Expressos)の定期バス、片道約15~20ユーロ)

HP: Rede Expressos (最新の運行状況や時刻表はこちら)※現在、HPメンテナンス中。

※ジャルディン・ゾロージコ駅は地下鉄ブルーライン(Linha Azul)が通っているので、同じ路線が通るリスボン中心部のロッシオ(Rossio)駅からレボレイラ(Reboleira)駅行に乗車するのが分かりやすくて便利です。サンタ・アポローニア(Santa Apolónia)駅行は反対方向になるので、間違わないように注意しましょう。

バスは長距離バスなので、終点はコインブラではなく、北部のポルトやブラガ行などがほとんどなので、乗り過ごさないようにしましょう。

コインブラのバスターミナルは中心部近くにあるので便利です。

・鉄道:リスボンのサンタ・アポローニア(Santa Apolónia)駅または、オリエンテ(Oriente)駅からコインブラ(Coimbra)駅までおよそ2時間~2時間30分(ポルトガル国鉄(Comboio de Portugal)の特急(Alfa Pendular)または準急(インターシティー、Intercidades)片道20~24.10ユーロ)

HP: ポルトガル国鉄(最新の運行状況や時刻表はこちら)

※サンタ・アポローニア駅には地下鉄ブルーライン(Linha Azul)、オリエンテ駅には地下鉄レッドライン(Linha Vermelha)が通っています。

※コインブラには鉄道の駅が2つあります。特急と準急は、終点のコインブラ駅手前のコインブラB(Coimbra-B)駅までしか行きません。より中心部に近いコインブラ駅にはB駅から普通列車(追加料金なしで、接続できるようになっています。)に乗車するか、B駅前のタクシー乗り場からタクシーで中心部に向かう2つの方法があります。(タクシーは、ポルタージェン広場(Largo da Portagem)まで約7ユーロ。)電車の方が、街中の混雑を回避できるのでおすすめです。

<補足情報>
コインブラまでは普通列車(Regional)も運行していますが、停車駅が多く約3時間半かかります。
約1時間に1〜2本の間隔で、特急か準急が走っているので、こちらの方がより速く快適にコインブラに着くことができます。
バスと同じくコインブラが終点ではないので乗り過ごさないようにしましょう。

コインブラまでは普通列車(Regional)も運行していますが、停車駅が多く約3時間半かかります。約1時間に1〜2本の間隔で、特急か準急が走っているので、こちらの方がより速く快適にコインブラに着くことができます。バスと同じくコインブラが終点ではないので乗り過ごさないようにしましょう。

観光の所要時間

コインブラ中心部(コインブラ大学):1日

リスボンとコインブラを結ぶバスや鉄道は本数が多く、日帰りでも訪れることは可能です。ただし、コインブラはリスボンとポルトの中間地点にあるので、リスボンあるいはポルト観光への途中に立ち寄りやすい場所です。(ポルトからコインブラまでは、鉄道でおよそ1時間、バスでおよそ1時間半。)

せっかくなら、大学以外にも魅力的なスポットがたくさんあるコインブラで1泊して、翌日に他の街へ移動するというプランはどうでしょうか?

コインブラは日本でいう地方都市にあたりますが、ローマ人の残した遺跡やイスラム支配時代の名残、市内を流れるモンデゴ川の豊かな自然など情緒溢れる街です。中部地方の特産品や郷土料理など、ここでしか出会えないグルメも必見ですよ。

午前中にコインブラ大学(旧大学部分)を見学。午後は商店が並ぶバイシャエリアやモンデゴ川沿いにあるレストランやカフェでのんびり過ごしたり、街中の教会や対岸の修道院を見学したり、楽しみ方は無限にあります。

コインブラ周辺には水の都アヴェイロなど、魅力的な街が多いので、ここを拠点にゆっくりと滞在するのもおすすめです。ホテルは鉄道の駅前やバスターミナル近くに集中していて便利で、値段もリスボンやポルトよりリーズナブルなところが多いです。

アヴェイロの特集はこちらから→ 水の都アヴェイロ!運河と塩田に囲まれた色彩豊かな街を巡ろう

※夜間の中心部(バイシャのサンタクルース教会近くの路地裏など)は人通りが少なくなるので、1人で歩くのはあまりおすすめできません。レストランやショッピングモールにはタクシーで向かうのが安全です。

コインブラの見どころ

サンタ・クララ修道院

コインブラ大学がある丘の対岸には、コインブラの街を知る上で欠かせない修道院があります。コインブラには新カテドラルと旧カテドラルがあるように、この「サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara)」にも新旧2つあるところが興味深いところ。

街の表玄関であるポルタージェン広場からサンタ・クララ橋を渡って、まず左手に現れるのが「旧サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara Velho)」です。

現在はモニュメントとして保存されている修道院ですが、建設当時はモンデゴ川の水が必要不可欠でありながら、度重なる洪水の被害に悩まされていました。

ついに1677年には、近くの小さなエスペランサ山に建設された新しい修道院へ移動を余儀なくされたのです。以後、長年廃墟となっていた修道院ですが、現在では考古学的に貴重なゴシック様式の例として公開されています。

ここから、前回ご紹介したポルトガル・ドス・ペケニートスがある環状交差点(ポルトガルでは「ヘトゥンダ(Retunda)」と呼びます。)を少し過ぎたところにある小さな坂道を登っていくと、もう一つの「新サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara Novo)」に着きます。

こちらは1649年に建設され、1677年にイザベル王妃の棺と共に旧修道院の機能が移管されました。礼拝堂には、イザベル王妃の像や生涯を描いた絵画などが置かれ、厳かな雰囲気を放っています。また、奥の広々とした回廊と中庭は静寂に包まれており、天気の良い日には日差しが降り注いでとても美しいです。

旧修道院と比べると、規模が大きく、礼拝堂入り口前の開放的なエントランスからは、対岸の丘に佇むコインブラ大学とオレンジの屋根瓦が美しいコインブラの街並みが一望できます。まさにコインブラが大学と共にある街であることを思わせる眺めはここでしか見れません。

バイシャ(5月8日広場周辺の繁華街)の賑わいとは対照的に、こちらは穴場スポットなので観光客も少なめ。多少坂道はキツめでも、心ゆくまでコインブラの絶景を楽しめるので、オススメです!(礼拝堂には入場料がかかりますが、エントランスは自由に出入りできますよ。)

そして、エントランスには私たちと同じように街を愛おしく見つめる人がもう一人。

おしどり夫婦と言われ「コインブラ大学の父」と称される国王ドン・ディニスの妻、イザベル王妃です。

王妃の像が礼拝堂入り口近くに建てられていて、まるでコインブラの街を優しく見守るような眼差しが印象的。

このイザベル王妃の人柄を表す伝説が残されています。

王でありながら「農民」というあだ名が付けられるほど、開墾や農業改革に尽力したディニス王(在位:1279-1325)。リスボン近くにあるレイリア(Leiria)という町には、彼の命令で植えられた松林が今も一部残っていて、その松は15世紀の大航海時代の船の材料にもなったそうです。また、数多くの詩を生み出し、インテリで文化的理解が深かった王としても親しまれています。

その妃であったアラゴン王国(現スペイン・アラゴン州)出身のイザベル王妃もまた、ディニス王の目を盗んでは自ら町に赴いて、恵まれない民のためにパンや洋服、時にはお金まで与えていたと言われるほど慈悲深い人物であったと言われます。

伝説は「バラの奇跡」として、前回紹介した「イネスとペドロの物語」と並ぶコインブラを代表する物語。さっそく内容を見ていきましょう。

妃の行動を知っていたディニス王はある日、少しやりすぎではないかと思い、イザベル王妃の後をつけます。王妃がいつものように人々にパンを与えようとしたところ、王は咎めようと声を掛けます。

王妃はとっさに前掛けいっぱいに入れていたたパンを隠し、王はすかさず「何を隠したのか?」と訝しげに聞きます。すると、王妃は「新しい修道院を飾るバラです。」と嘘をつきます。

「(1月は)バラの季節でもないのに?」と王は詰め寄り、必死に抱える王妃の手をふりほどきますが、なんと本当にバラの花がこぼれ落ちたのです。

この奇跡は「王妃の慈悲深さに神が救いの手を差し伸べたものだ!」とたちまち民の心を惹く出来事になったのです。

しかしながら、パンではなくお金がバラになったり、そもそもバラではなくてパンがお金になったりと語る人によって物語の内容に若干の違いがあります。この物語は、王妃の死後200年経ってから作られており、キリスト教の信仰をより一層深めるための聖母マリア崇拝とも重ねられたのではないかとも言われます。

毎年7月には聖イザベル祭が開催され、新サンタ・クララ修道院から王妃の木彫像がバイシャのサンタ・クルース教会までパレードする光景は神秘的です。

どちらの修道院も趣ある散策コース上にあるので、リフレッシュも兼ねて訪れてみてはいかがでしょうか。

国立マシャード・デ・カストロ博物館

「国立マシャード・デ・カストロ博物館(Museu Nacional de Machado de Castro)」は、国内有数の貴重な芸術作品を収蔵する博物館です。前回の記事でご紹介した新カテドラルのすぐ近くにあります。

博物館の名を冠する「マシャード・デ・カストロ(Joaquim Machado de Castro、1731-1822))」は、18〜19世紀初頭に活躍したコインブラ出身の彫刻家です。

彼の偉業への尊敬の念を込めて1913年に設立されました。彼のコレクションを展示する聖公会(キリスト教一派)の宮殿や、国内の宗教美術の歴史を物語る数多くの絵画や彫刻、聖杯などは一見の価値アリ。特にイザベル王妃の宝物、人々を驚かせた「黒いキリスト」と呼ばれるゴシック様式の木彫像は必見の美術品です。

記念すべき100周年の2013年には、世界遺産の構成遺産に認定されました。

この博物館で一番驚かされるのは、近代的に整備された博物館に似合わない地下に続く石の階段を降りた先に、まるで古代の世界にタイムスリップしたかのような光景が広がることです。

地下には、かつてコインブラが「アエミニウム(Aeminium)」と呼ばれていたローマ時代の都市遺構が保存されており、当時の広場やアーチ状の建造物を間近に見学することができます。

外観からは全く想像のつかないほど奥行きのある圧倒的な歴史的空間を前に、ローマ時代に思いを馳せてしまうこと間違いなし!ロマン漂う空間です。

そして、併設のカフェからの眺めは、見る人の心をどこか「哀愁的」にさせる美しさと絶賛されるほど。

コインブラ大学の見学後に立ち寄るのにぴったりなロケーションなので、ぜひ訪れてみてください。

※時期によっては、展示作品が入れ替えられていることがあります。

コニンブリガ遺跡

モザイクタイルが美しいですね!(写真手前側)

「コニンブリガ遺跡(Ruínas de Conímbriga)」は、ポルトガル最大級のローマ時代の遺跡です。

コインブラから南に15㎞の町、コンデイシャ・ア・ノーヴァ(Condeixa-a-Nova)近くにあります。コニンブリガが形成されたのは、鉄器時代(※)に作られたケルト系民族のコニー族の居住地が起源とされます。

(※)鉄器時代…デンマークの考古学者が提唱した考古学的区分で、その時代に主に鉄を用いていたことから名付けられました。鉄器時代は、今から3200年前に始まったとされます。

その後、ローマ帝国の支配下となり、コニンブリガは繁栄を極めます。紀元2年には、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの手によって公衆浴場とフォールン(Forum、古代ローマの中心に作られた公共広場のこと。)が建設されました。コインブラの中心には「フォールン」という名前の大型ショッピングモールがあります。

しかし、4世紀後半にローマ帝国が衰退し始めると、西暦465年にはゲルマン系のスエヴィ族の略奪行為から街を守れず、コニンブリガは破壊されてしまいます。

廃墟と化した街からは、多くの住人が移住を余儀なくされました。

歴史の表舞台からすっかり忘れ去られていたコニンブリガがまた輝きを取り戻したのは、19世紀に入ってからの大規模な発掘調査のおかげでした。水源から3,400mも続く水道橋や、6世紀頃のキリスト教のバジリカ聖堂の跡など、貴重な建造物が続々と見つかったのです。

最も訪れる人を関心させるのが、とても保存状態の良い多彩色モザイクタイルの回廊や浴場、ローマ時代の典型的な住居「カーザ・デ・カンタベール(Casa de Cantaber)」や高貴な人物が住んでいたとされる「カーザ・デ・レプーショス(Casa de Repuxos)」がきれいに残されているということです。

どれもローマ時代のものとは思えない美しさで、当時の生活が目の前に広がるような感覚を覚えます!

併設の博物館では、発掘調査時の出土品(食器や装飾品など)を見ることができます。

ローマ帝国というと、真っ先にイタリアのローマをイメージしてしまいますが、ポルトガルにも確実にローマ支配の影響や名残があったのだと気づかせてくれる場所ですね。

コインブラのポルタージェン広場前のバス停から路線バス1本で行けますので、ぜひ足をのばしてみてください。(※トランスデヴ社(Transdev)のバスで約40分。)

プライア・フルヴィアル (リバービーチ)

レコンキーニョ・リバービーチ(ペナコーヴァ)

ポルトガル語でプライア(praia)は「海辺」や「ビーチ」、フルヴィアル(fluvial)は「川の」という意味です。

ポルトガルというと、大航海時代のイメージも強く、大西洋沿岸や南部のアルガルベ地方などの真っ青な「海」を思い浮かべますよね。

もちろん、透きとおった海と白い砂浜のビーチは美しいのですが、ポルトガル内陸部の各地には「海」のビーチに劣ることのない素晴らしい「川」のビーチ(リバービーチ)がたくさんあるんです。

今回は、コインブラ近郊のリバービーチを2カ所ご紹介します。

1つ目は、コインブラから車で北東に約20kmのところにある町「ペナコーヴァ(Penacova)」の「レコンキーニョ・リバービーチ(Praia Fluvial do Reconquinho)」です。

ペナコーヴァは、山や川に囲まれた風光明媚な癒しの隠れ家的スポット。昔ながらの風車をペンションやレストランに改装して、風の街としても観光客をひきつけています。

カフェなどが多く集まる高台の展望台からは、谷間を緩やかに蛇行する「アルヴァ川(Rio Alva)」とモンデゴ川を眺めることができ、まるで空を飛んでいるようなパノラマビューにテンションあがります。

展望台からの眺めは最高です!

展望台から車で5分の川辺に整備されているレコンキーニョ・リバービーチは、初夏から既に沐浴を楽しむ人々で賑わっています。流れはおだやかで水質もバッチリ!

小さなカフェもあるので、水が苦手な人でもお茶をしながらゆっくりと自然を満喫できます。

そして、ペナコーヴァに行ったのなら、カスタードの入ったふわっふわの生地を砂糖でコーティングした、ペナコーヴァ限定スイーツ「ネヴァーダス・デ・ペナコーヴァ(Nevadas de Penacova)」を試さずには帰れません!

※ネヴァーダスは「降雪」という意味で、雪の結晶のように繊細なお菓子です。

レコンキーニョ・リバービーチへのアクセス:コインブラからタクシーやUberを使って、約30分。

木陰が心地よい!レボリン・リバービーチ(写真左奥にモンデゴ川)

続いて2つ目は、コインブラの中心部にほど近い「レボリン・リバービーチ(Praia Fluvial de Rebolim)」です。

コインブラ大学の第二キャンパス(PoloⅡ)近くのポルテーラ(Portela)エリアに位置していて、コインブラ中心部から最短最速のビーチです。

(実は、コインブラ大学のキャンパスは有名な旧大学エリアだけではなく、市内に第二・第三キャンパスが点在しています。)

例年6月からは監視員が常駐し、トイレやごみ箱などが設置されます。無料駐車場があり、ピクニックスペースも整備されているので、1日中のんびりできちゃいます!コインブラの中心部近くとは思えない、大自然の中にあるビーチはきれいで、川底まで見える透明度。

大学のキャンパスがあるので、公共交通機関も充実しています。コインブラ大学の学生をはじめ、地元の人々の癒しスポットです。

レボリン・リバービーチへのアクセス:ポルタージェン広場からタクシーやUberを使って、約20分、または市内循環バス24番または34番のバス停「ポロ・ドイス(PoloⅡ)」下車、徒歩5分。レンタサイクルもあります。(約15分)

ご紹介したどちらのリバービーチも野趣溢れる絶景を堪能できます。

海水浴客で賑わう海辺もいいですけど、たまには森の中で深呼吸してみませんか。

日本ゆかりの町 モンテモール・オ・ヴェーリョ

お城のまわりは、田園風景が広がります。

コインブラの中心部から西に約25kmのところに、「モンテモール・オ・ヴェーリョ(Montemor-o-Velho)」という小さな町があります。

モンデゴ川の右岸に位置するこの町は稲作が盛んで、日本の田園風景を思わせる風景が広がっています。

その「バイシャ・モンデゴ(Baixa Mondego)」と呼ばれる平らで肥沃な台地に突如現れるのが、町のシンボル「モンテモール・オ・ヴェーリョ城(Castelo de Montemor-o-Velho)」です。ポルトガル国内で現存する中世時代の城の中でも、ほぼ当時の形を残す貴重な城として知られています。

711年に始まったイスラム教徒のイベリア半島占領で、重要な河川港があったモンテモール・オ・ヴェーリョは、9〜12世紀にかけてのキリスト教徒によるイスラム教徒からの国土回復運動(再征服)「レコンキスタ(Reconquista)」の舞台になりました。1064年の完全征服まで、この城がコインブラ防衛の最前線に位置付けられていたのです。

その後、今のスペイン・アンダルシア地方、セビーリャ出身であったモサーラベ(Moçárabe、イスラム支配時代に、アラブの言語や文化は取り入れつつもキリスト教徒であった人々を指します。)によって、開墾や教会の建設など入植が進められました。

現在、城は無料で開放されており、高台にある城の入り口までは徒歩あるいは、新設されたエレベータで訪れることができます。

甕城(おうじょう)と呼ばれる半円形の城門が特徴的で、城壁からはモンテモール・オ・ヴェーリョの町を一望でき、ピクニックスペースもある市民憩いの場でもあります。

また、城壁内には日本とゆかりのある宣教師であり、冒険家でもあった「フェルナン・メンデス・ピント(Fernão Mendes Pinto、1509?-1583)」をオマージュした詩人「アフォンソ・ドゥアルテ(Afonso Duarte、1884-1958)」の詩が刻まれた石碑がひっそりと置かれています。

異なる時代を生きた2人は共にモンテモール・オ・ヴェーリョ出身で、フェルナン・メンデス・ピントは商人として諸国を旅する中、16世紀に来日しました。(一説には、日本への鉄砲伝来に関係する人物の一人とされています。)

その際の体験をまとめた見聞録「遍歴記(Peregrinação)」が死後出版され、その名が知られるようになります。ただ当時、はるか遠くにあった日本を実際に見たポルトガル人はほとんどいなかった為、ピントの書く話しには信ぴょう性がないと思われてしまい、不遇にも「嘘つきピント」というあだ名を付けられてしまいます。

しかし、まったく知らない土地のことを100%正確に理解するのは難しいことで、当時の様子を記した貴重な資料として、後に再評価されています。

種子島広場全景

そして、城下にある中心部のには、おそらくピントがはじめて日本に来た時に上陸した場所にちなんで「種子島広場(Praça da Tanegashima)」と名付けられた広場があります。

広場の片隅にあるアズレージョには「種子島 – 1543年にポルトガル人たちが到着した島である」と書かれているのです。

これは遠い異国の地で出会うポルトガルと日本を結ぶ絆(ポルトガル語ではelo=エーロと言います。)の証ですね。

コインブラからモンテモール・オ・ヴェーリョまでは車で約30分です。公共交通機関は通っていないので、タクシーやUberを利用します。

モンテモール・オ・ヴェーリョから車で10分程コインブラ方面に戻ったところに、「テントゥーガル(Tentúgal)という小さな町があります。この町は、ポルトガル人も惚れ込む「パステイス・デ・テントゥーガル(Pastéis de Tentúgal)」という伝統的な修道院菓子の発祥の地として有名なのです。トルコやギリシャのバクラヴァ(Baklava)のように、とても薄くて透けて見えるほどの生地に、ポルトガル菓子には欠かせない黄身のクリームがたっぷりと包まれた、見た目は春巻き?のようなお菓子です。

いつでも焼きたてサクサクが食べられます!

テントゥーガルの町近くには、パステイス・デ・テントゥーガルを販売するお店が数軒並ぶ通称「パステイス・デ・テントゥーガルロード」があるほどの人気ぶり。週末には、サクサクの食感が癖になるその味を求めて、家族連れやグループで賑わっています。

その中でも、生地に使われる小麦から自家製にこだわる人気店「ドサーリア・ポウザディーニャ(Doçaria Pusadinha)のパステイス・デ・テントゥーガルは、クリームが甘すぎず軽やかで、他のものとは一味違います。

また、同じ生地で作られるエンパナーダス(包むという意味があり、さまざまな具材を包んで焼き上げたミニサイズのパイです。スペイン語圏やポルトガル語圏で親しまれる軽食。)は種類がとにかく豊富で飛ぶように売れるそうです。パイ生地の小麦の風味と手作りの具材のコンビネーションが最高です!

具材の種類が豊富、家庭的な味にほっこり。

店内にはイートインスペースがあって、焼きたてを食べることができます。

美味しさのあまり、帰りにはテイクアウトしていく人が絶えないそう。

この地でしか食べられないスイーツをぜひ堪能してみてください。

【店舗情報】ア・ポウザディーニャ(A Pousadinha)

住所:Rua da Doçaria Conventual, Tentúgal
営業時間:7:30~22:00
定休日:なし

HP:ア・ポウザディーニャ

ブサコ国立森林公園

ブサコ・パレスホテルと庭園

コインブラまで訪れたのなら、もうひと足のばして行きたいオススメスポットがあります。

ポルトガルでおそらく一番目にするミネラルウォーター「ルーゾ(Luso)」で有名なルーゾの町近くにある「ブサコ国立森林公園(Mata Nacional do Buçaco※以前の綴りはBussaco)」です。

ブサコ山脈(Serra do Bussaco)の中腹に位置し、東京ドーム約20個分におよぶ先史時代から続く原生林が広がります。王や僧侶の隠れ家として親しまれ、森の中には多くの19世紀のリバイバル様式(ロマネスクやゴシック様式を懐古して新たに作られた様式)の建物が点在しており、文化的景観も含んだ森には散策コースが整備されています。公園の最高地点にある「クルース・アルタ展望台(Miradouro de Cruz Alta)」からは、モンデゴ川の流れや遠く大西洋までを見渡せる大パノラマが広がります。

ブサコは19世紀前半のフランスによる侵略(Invasão francesa)で、英葡両軍が勝利を収めた戦いの地でもありました。(1810年、ブサコの戦い)

見どころが多いブサコの中でも、公園の中心にある「ブサコ・パレスホテル(Bussaco Palace Hotel)」はブサコ観光のハイライトといえます。このホテルは元々、実質的なポルトガル王朝最後の王となった「ドン・カルロス(D. Carlos)」のために造られた宮殿(王は狩猟をこよなく愛したとされ、狩りをした際の休憩に使ったとされます。)でした。

1917年の改装でラグジュアリーホテルへと生まれ変わると、その美しさと豪華さを求めて世界中の多くのVIPが宿泊するようになります。皇太子時代の浩宮殿下も宿泊しており、日本人の宿泊客も少なくありません。

ホテルの前にある庭園は花々で彩られ、ホテルの裏側の壁にはポルトガルの歴史上の重要な場面を切り取ったアズレージョタイルの壁画が施されています。その中のひとつには、ルイス・デ・カモンイスの詩「ウズ・ルジアダス」に出てくる伝説上の巨人「アダマストール(Adamastor)」が描かれています。

アダマストールを描いたアズレージョ、迫力があります。

アダマストールとは、大航海時代の喜望峰周辺に現れたとされる怪物で、当時荒れやすく暗い海にある喜望峰を越えることは至難の業であったことから、破壊や恐れを具現化したものと考えられています。その恐ろしさがひしひしと伝わる迫力です。

ホテルの外観や内装はため息が出るほど豪華で美しく、宿泊客ではなくても利用できるレストランとカフェは大人気です。提供されるカフェメニューやサービスは素晴らしく、時を忘れます。別荘にいるような優雅な気分を味わってみてはいかがでしょうか。

いつかは泊まってみたいホテルの候補入り間違いなしですね!

文化的、歴史的であって大自然の恵みたっぷりのブサコ。いいところをすべて詰め込んだ自然のテーマパークで身も心もリフレッシュしてみませんか。

【ここに来たらはずせない!】おすすめのグルメ&お土産

コインブラに来たらはずせない名物を紹介します。

まずは、コインブラのある中部地方(ベイラ・リトラルやベイラ・アルタ)を中心に食される「シャンファーナ(Chanfana)」です。

シャンファーナは家庭ではクリスマスなど、家族が集まるときにも食べます。

この地方の伝統料理で、カブリット(子ヤギ)をたっぷりの赤ワインと香辛料(ローリエなど)で漬け込んだものをじっくり煮込んだものです。ポルトガルの7つの絶品料理のひとつにも選ばれるほど、深い味わいが人気です。

赤ワインに染まった見た目は少しインパクトがありますが、肉はホロホロで、臭みもありません。茹でたジャガイモや「ミーガス(Migas)」というパン粥のような付け合わせとよく合います。

コインブラ中心部にある郷土料理を扱うレストランで提供しているので、ここでしか味わえない一品を頼んでみてはいかがでしょうか。

ポルタージェン広場近くの「コメルシオ広場(Praça do Comércio)」にある「ア・コジーニャ・ダ・マリア(A Cozinha da Maria)」は、可愛らしい小さな扉が目印の日常使いもできるポルトガル料理店です。

こじんまりとしたアットホームな店内では、シャンファーナをはじめ、タコのグリルやバカリャウ料理を楽しめます。観光客向けの料理ではなく、家庭的なメニューが豊富なのも魅力です。

ポルトガルのタコ料理も絶品!(ポルヴォ・ア・ラガレイラ=タコの炭火焼き)

【店舗情報】ア・コジーニャ・ダ・マリア(A Cozinha da Maria)

住所:Praça do Comércio 110, Coimbra
営業時間:11:00~15:00、19:00~22:00
定休日:日曜日

HP:ア・コジーニャ・ダ・マリア|Facebook

続いては、観光客にはまだあまり知られていないコインブラに住む人も一目置くペイストリー店です。

コインブラの閑静な住宅地セーラシュ(Celas)のメインストリートにある「パステラリーア・ヴェヌス(Pastelaria Vénus)」は、ショーケースに日常使いのパンや焼き菓子からコインブラ周辺の修道院菓子やお店のオリジナルケーキまでズラリと並ぶ、コインブラっ子に人気のお店なんです。

美味しいペイストリーを求めて、次から次へとお客さんが入れ替わり、店内は活気に満ちています。併設するレストランではビュッフェスタイルで好きなものを好きな量だけ選べるランチもあって、日替わりの肉や魚料理は絶品です。(選んだおかずのグラムで金額が決まる形式)

コインブラ大学近くの「レプブリカ広場(Praça da República)」からタクシーで5分、徒歩でも20分程で行けます。

上品な甘さのケーキは、日本人好みの味。

【店舗情報】パステラリーア ヴェヌス(Pastelaria Vénus)

住所:Av. Calouste Gulbenkian 131, Coimbra
営業時間:8:00~20:30
定休日:なし

HP:ヴェヌス| Facebook

最後は、美味しい料理も食べられて宿泊もできるホテルをご案内します。

コインブラ大学のすぐ近くに2017年にオープンしたワインと本がテーマの「サピエンティア・ブティックホテル(Sapitentia Boutique Hotel)」は、18〜19世紀の異なる3つの建物を改装したホテルです。

そのうちの1つがコインブラ大学教授でワインの生産者の所有であったことから、オマージュを込めて18:00にはホテル最上階のルーフトップバーで宿泊客にワインが供されるそうです。22の客室それぞれがコインブラゆかりの作家や作品の名にちなんでおり、長期滞在もできるアパートメントタイプもあります。

部屋の料金も約100〜300ユーロと良心的。(部屋タイプによって異なります。)

ポルトガルの有名な小説家であり、外交官でもあった「エッサ・デ・ケイロース(Eça de Queiroz)」などの作品に出てくる「19世紀のコインブラで最も有名な大衆食堂」(ポルトガルではタスカ(Tasca)と言います。)にちなんで名付けられた中庭のレストラン「カメーラおばさんの大衆食堂(Tasca das Tias Camellas)」は、郷土料理を新しいスタイルで提供しています。

ワインセラーに生まれ変わった16世紀の貯水槽跡や木漏れ日のテラスでの食事はこのホテルのコンセプトの通り、時空を超えるにふさわしい雰囲気を演出しています。SNSにあげたくなる料理やデザートに旅気分は最高潮。ポルタージェン広場にも下り坂10分で行けるロケーションの良さも人気の理由のひとつになっています。

定番のデザートもかわいくデコレーション。映えて美味しいメニューがいっぱい!

【ホテル&店舗情報】サピエンティア・ブティックホテル(Sapitentia Boutique Hotel)

住所:Rua José Falcão Nº4, Coimbra
営業時間:レストラン 12:00~15:00、19:00~22:30
定休日:なし

HP:ホテルHP、 レストランHP

※コロナの影響で営業時間が異なる場合や休業する場合があります。

スポットマップ

まとめ

コインブラの代表的なファド「バラーダ・デスペディーダ(Balada Despedida)」の中で「コインブラは”別れ”の時がもっとも魅力的になる ”Coimbra tem mais encanto na hora da despedida”」と歌われています。

この歌詞はコインブラがどんな街なのかを最も分かりやすく形容していると言われていて、コインブラの街はその通り、別れの時が一番輝いて見えます。それでいて、同時に哀愁も漂う街なのです。

コインブラは大学との強い結びつきがあって、伝統やしきたりを重んじる由緒正しい街。

堅いイメージの一方で、街の人々と学生・留学生たちの交流を目の当たりにすると、さまざまな国籍の人を受け入れる寛容さに懐の深さを感じます。

偉大なファド歌手で、ファドの女王と讃えられた「アマリア・ロドリゲス(Amália Rodrigues)」もこのコインブラの街のことを歌っています。

大切に守られてきた伝統と新しく入ってくるものを調和させる不思議な力を秘めた古都コインブラ。ご自身の学生時代と重ね合わせて、それぞれに抱く”懐かしさ”を探してみてはいかがでしょうか。

※各施設・店舗の情報は2022年6月の情報です。今後変わる可能性がありますので、最新の情報は公式HPなどでご確認ください。

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