まるでレースのように繊細な石彫が施されたバターリャ修道院。この建物は、敗れるとポルトガルの運命を変えていたかもしれない歴史的な戦いでの勝利と独立を記念して建てられました。この記事では、バターリャ修道院が建設された背景、そして数世紀に渡って数多くの建築家により築き上げられたものの、最終的には未完のままの状態で今に残るバターリャ修道院を紹介します!
概要と歴史
ポルトガル中部レイリア地方の丘に囲まれた小さな町バターリャ。この町には、「バターリャ修道院(別名サンタ・マリア・ダ・ヴィトリア修道院)」と呼ばれる、町の規模に不釣り合いなほど重厚感のある壮麗な建物があります。
町の名前の「バターリャ」は、ポルトガル語で「戦い」を意味します。その町の名前の由来は、中世におけるある戦いがきっかけです。
14世紀、ポルトガルは国土回復運動でムーア人と戦っていたのと同時に、ポルトガルの王位をめぐり隣国のカスティーリャ王国とも何度も戦いを交えていました。そのひとつが1385年、バターリャ郊外のアルジュバロッタでの戦いです。
6500人のポルトガル軍に対して、カスティーリャ軍(フランス軍とガスコーニュ軍を含める)は3万1000人という、日本でいうと桶狭間の戦いのような少数VS大軍の戦いでした。数では劣勢だったポルトガル軍ですが、地の利があったことが幸いし、大軍のカスティーリャ軍を打ち負かします。その後カスティーリャを支持していたポルトガルのほかの都市も降伏、ポルトガルがカスティーリャ王国からの独立を守った大きな契機となった戦いでした。
ときの国王ジョアン1世はこの勝利を聖母マリアに感謝し、アルジュバロッタ近くにバターリャ修道院の建設を始めました。何名もの建築家が携わって増築が繰り返されたバターリャ修道院ですが、最終的には未完成のまま18世紀のリスボン大地震や19世紀のナポレオンの侵略により壊滅的な被害を受けます。
その後一時は廃墟となり果てたものの、20世紀初頭にかけて大規模な修復工事を実施。見事に中世の姿を蘇られせたバターリャ修道院は、1983年にポルトガル初の世界遺産のひとつとして認定をされました。
基本情報
トマールのキリスト教修道院やアルコバッサ修道院など、世界遺産が密集するポルトガル中部。バターリャ修道院もその中のひとつですが、アクセス手段は限られているので訪れるには少し計画性が必要になります。まずはバターリャへの行き方と周りの町へのアクセス方法をチェックしておきましょう!
アクセス難易度
アクセス難易度:★★☆
★☆☆…簡単!ポルトガル観光定番スポット
★★☆…やや難。大都市からちょっと足を伸ばして
★★★…奥地。電車やバスを乗り継いで
バターリャには鉄道駅がないため、公共交通機関での移動はバスが中心となります。そのバスもまた、ポルトガルの首都リスボンからでも1日3~4便と、乗り過ごしたら致命的な本数の少なさ。バターリャを訪れる際は、バスの時刻表チェックは必須ですね。
バターリャへのアクセス方法
リスボンからのアクセス
バス:リスボンのセッテ・リオス(Sete Rios)ターミナルからバターリャのバスターミナルまでおよそ2時間(Rede Expressos社の高速バス利用・1日3~4便ほど)
観光の所要時間
バターリャ観光の所要時間:半日
バターリャ修道院は町の中心部にあり、バスターミナルからも歩いて5分ほどのコンパクトさ。修道院の周りは特に大きな観光スポットはないため、修道院がメインの訪問先となるでしょう。見ごたえのある修道院ですが半日あれば十分です。
時間を合わせてリスボンに戻ることも十分可能ですが、アルコバッサやレイリアへは30分以内の距離。せっかくなので、ポルトガル中部の都市巡りをしてみるのもいいですね。
アルコバサについてもっと詳しく!→「ポルトガルで語り継がれる悲恋物語の主役が眠るアルコバサ修道院」
バターリャ修道院の見どころ
カスティーリャ王国への勝利とレコンキスタの完了後に始まった大航海時代のポルトガルの全盛期の主役たちが眠るバターリャ修道院。ここからはそのバターリャ修道院の見どころをまるっとお伝えします。
バターリャ修道院を巡ろう!
修道院に入る前から圧倒される立派なファサードにまず注目。ドアの隣には、両側に6体ずつ、イエスの12人の弟子の彫刻があります。さらにその上にはアーチを描くように、殉教者、教皇、司教、天使などの宗教的人物の小さな彫刻がずらりと連なり、その細かさに圧倒されますよ。ファザードを通り抜けたらいよいよバターリャ修道院内部巡りのスタートです。
教会
奥行き、高さともにポルトガル屈指の規模を誇る教会です。まるで地下都市のような静けさと重厚感を感じる、装飾を極力抑えた空間でひと際目を引くのが天井で太陽の光を受けて煌めくステンドガラス。武骨な雰囲気の教会にエレガントさを加えるステンドガラスの数々は、15世紀にドイツから取り入れられました。ポルトガルの教会に初めて設置されたステンドガラスと言われています。
創設者の礼拝堂
ジョアン1世とフィリパ・デ・レンカストレ王妃、そしてエンリケ航海王子を始めとする息子たちの棺が置かれている礼拝堂です。大航海時代をけん引したポルトガルの有名どころが一堂に会した空間。ここはぜひ、14~15世紀ごろのポルトガルの歴史と知ったうえで訪れると感慨もひとしおでしょう。礼拝堂は1755年の大地震で損傷を受け、今の八角形の天井とステンドガラス付きの空間にリニューアルされました。
ジョアン1世の回廊
建設当初から、15世紀までの間増築を加えられた回廊。ジェロニモス修道院の回廊も手掛けたボイタックにより、マヌエル様式の装飾をプラスした大航海時代を思わせる繊細な彫刻が施された柱やアーチ窓が見どころです。
参事官室
第一次世界大戦とアフリカでの植民地争いで亡くなった無名戦士の墓があります。兵士が常駐しており、タイミングが合えば交代式も見学することができますよ。
未完の礼拝堂
何代にもわたってさまざまな建築家が携わったのち、結局完成を見せずに未完の状態で今に残る礼拝堂。未完のまま終わった理由としては、同時期に建設を行っていたジェロニモス修道院の建設に建築家たちが移ってしまったこと、建築の設計そのものに欠陥が見つかったことなどが伝えられていますが、真意は不明のまま。ぽっかりと開いたままの丸い天井からは青空がのぞく、ほかにはない不思議な礼拝堂です。
バターリャ修道院(Mosteiro da Batalha)
住所:Largo Infante Dom Henrique, 2440-109 Batalha
営業時間:9:00~18:00(10月16日~3月31日) 9:00~18:30(4月1日~10月15日)
休業日: 1/1・イースター・5/1・12/25
入場料:6€ ※アルコバサ修道院、トマールのキリスト修道院とのセット券15€(7日間有効)
HP: バターリャ修道院
アルジュバロッタの戦い研究センター(The CIBA museum)
バターリャ修道院からバスでおよそ5~10分、修道院建設のきっかけとなったアルジュバロッタの戦いの舞台近くの地には現在博物館が建てられています。歴史的な戦いを再現したショーや数々の展示を見学してポルトガルの歴史への理解を深めることもできます。アルジュバロッタの戦いが実際に行なわれた戦地跡への見学ツアーもあります。
アルジュバロッタの戦い研究センター(CIBA)
アクセス:RodoviáriadoTejo社のバスでバターリャ修道院から5分・CIBAからバスターミナルへは15分(1日6便)※参考HP: RodoviáriadoTejo
住所:Av. D. Nuno Álvares Pereira, nº 120, São Jorge. 2480-062 Calvaria de Cima
営業時間: 10:00~17:30
休業日:月曜
入場料:7€
HP: アルジュバロッタの戦い記念館
スポットマップ
まとめ
中世ポルトガルは南方はイスラムと、東方はカスティーリャ王国との戦いが尽きることのない時代でした。その激動の時代にポルトガルの独立を守り抜くきっかけとなったアルジュバロッタの戦いは、バターリャを訪れるのであればぜひ押さえておきたトピックですね!ぜひ中世ポルトガルの偉人たちが眠るバターリャ修道院修道院を訪れて、ポルトガルの歴史をたどってみてくださいね。
※各施設・店舗の情報は2020年11月の情報です。今後変わる可能性がありますので、最新の情報は公式HPなどでご確認ください。
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