ポルトガルの歴史③~スペイン併合からブラジルの独立まで~

大航海時代の先駆者として、新しい世界を次々と切りひらいたポルトガル。しかし次第にその国力は衰え始め、イギリスやオランダなどの国々に覇権を奪われていきます。

その後のポルトガルはスペインに併合されてしまったり、フランスのナポレオンによる侵略があったりと波乱万丈の時代が続きます。今回はそんな、ポルトガルが周りの国々やブラジルを始めとする植民地に翻弄された期間についてです。

ポルトガルの大航海時代の終わり

ポルトガル

ポルトガルの大航海時代は、マヌエル1世とジョアン3世の時代に最盛期を迎えます。そしてその後を継いだのがセバスティアン1世でした。彼はジョアン3世が亡くなる数年前に誕生した待望の後継ぎだったことから「待望王」とも呼ばれます。 

わずか3歳で即位したセバスティアン1世は、ポルトガルの栄光の回復に強い熱意を持ち、十字軍の再興を掲げイスラムとの戦いにも積極的でした。しかしながら1578年、モロッコの北部で繰り広げられたアルカセル・キビールの戦いでポルトガル軍はイスラム軍に大敗。セバスティアン1世もこの戦いで行方不明となり、見つかることはありませんでした。

セバスティアン1世には後継ぎがおらず、すでに高齢のエンリケ1世が即位したものの、即位から2年後に亡くなってしまいます。彼もまた、国王即位前は聖職者だったため子供はいませんでした。

ここで再び、ポルトガル王国内で跡継ぎ問題が勃発。ポルトガルの混乱を好機と見たスペイン国王のフィリペ2世が、王位継承に名乗りをあげます。ポルトガルの貴族や有力者たちを味方につけたフィリペ2世は、スペイン王であるとともにポルトガル国王のフェリペ1世としても即位し、1581年にポルトガルはスペインに併合されてしまいます。

スペイン併合時代

フェリペ1世の即位後、ポルトガルではフェリペ1世、フェリペ2世、フェリペ3世のスペイン王3代に渡る支配が続きます。

フェリペ1世は、ポルトガルの政治的・経済的自治やポルトガル語の使用を認めるなど、比較的緩い支配をおこないました。ポルトガルにとっては商業面での恩恵も多く、併合当初は必ずしもネガティブな出来事ではなかったようです。

ヨーロッパ大陸や世界各地の植民地で巨大な権力を持ち、「太陽の沈まぬ国」と称されたスペイン。しかし、フェリペ2世、フェリペ3世の時代になると、急速にその勢いを失い、国内の困窮化がだんだんと深刻になります。ヨーロッパの海洋国家はオランダ、イギリスへと移り変わっていきました。

ポルトガル国内においても併合当初の約束が次第に蔑ろにされ始め、スペインの支配力がだんだんと強まります。さらにポルトガルは、イギリスやフランス、オランダといったスペインと敵対する国々からも攻撃を受けるようになりました。

こうして、ポルトガル国内での支配力を強め、さらに国外の争いまでももたらすスペインに対して、徐々に国内では反感が高まり始めます。

ポルトガルの独立回復

ポルトガル国内ではスペインからの分離独立を目指す運動が広がり、1640年にはクーデターに成功します。この結果、ポルトガル貴族のブラガンサ公爵ドン・ジョアンが、ジョアン4世として即位。ポルトガルはスペインからの独立の回復を果たしました。

独立後のポルトガルは、スペイン併合により荒廃してしまっていた国内の再建にとりかかります。イギリスとは政略結婚により平和同盟条約を締結し、外交面でも強化を図りました。

ポルトガル独立後も、スペインとの国境近くにあるエルヴァスやアルメイダなどの町では、たびたび戦いは繰り返されていました。しかし1668年、ポルトガルはスペインと条約を結び、ついに独立を確保することとなります。

エルヴァスについてもっと詳しく→「ポルトガルの国境を守るために築かれた星形要塞の町―エルヴァス」

アルメイダについてもっと詳しく→「何度も戦いの舞台に!星型要塞の村、アルメイダ」

ブラジルの発展と金

17世紀後半、ポルトガルの植民地ブラジルでは本国の経済を支えた砂糖産業に陰りが見えていました。代わりとなる資源を追い求めて内陸に向けて進んだ結果、発見したのが数々の金鉱やダイヤモンドです。

ブラジルでの金・ダイヤモンドの生産は、ブラジルの発展とともにポルトガル国内にも莫大な富をもたらしました。時の国王ジョアン5世は修道院や教会内部に豪華絢爛な装飾を施します。ジョアン5世は外交、文化面ともにポルトガルの威厳回復を目指していました。

マフラ修道院、コインブラ大学の図書館、ポルトはサン・フランシスコ教会の金泥細工に、今でも当時のゴールドラッシュに湧いたポルトガルの様子がうかがえます。

マフラ修道院についてもっと詳しく→「ちいさな町中に忽然と現れる巨大宮殿!世界遺産マフラ」

ポルトガルの近代化とリスボン大地震

ジョアン5世を継いだジョゼ1世は、後に宰相となるポンバル侯爵のもとで近代化を目指します。

1755年11月1日の朝、ポルトガルは巨大な地震に見舞われます。震源地付近のリスボンでは巨大な津波や大規模な火災が発生し、町の中心部が壊滅的な被害を受けてしまいます。リスボン市内の80%以上の建物が倒壊し、死者数は6万人を超えるとも言われる大災害でした。

この未曽有の大震災の後、救済と復興の対応を行ったのがポンバル侯爵でした。彼はリスボン再建計画を掲げ、基盤状の通りで区分けされた近代的な都市へと再建させました。

ポンバル侯爵はリスボンを始めとする震災からの復興に尽力しました。一方で彼の政策は、反対する貴族たちやイエズス会を弾圧・追放、ワインの指定栽培地域制度を設けるなど、強行的な手法で多くの反対勢力も生み出していました。

ポンパルの経済政策は当時の国民に受け入れられず、ポンバル侯爵はジョゼ1世が亡くなるとともに失脚します。

対フランス戦争

19世紀初頭のヨーロッパでは、フランスの皇帝ナポレオンが大陸における支配力を急速に拡大。ナポレオンは大陸封鎖令を公布し、イギリスを孤立させようとしていました。イギリスと同盟関係のあるポルトガルは、「イギリスへ宣戦布告をせよ」というナポレオンの要求を受け入れませんでした。

1807年、フランス軍はポルトガルへ侵入を開始します。すんでのところで、ポルトガル王室、官僚たちはブラジルに逃亡を果たします。彼ら一行はリオデジャネイロに新たな宮廷を置きました。

国王のいなくなったポルトガルは、フランス軍の3回の侵入に伴う戦いや混乱に乗じた略奪の横行などにより、大きく荒廃をしてしまいました。フランス軍の退却後もブラジルにいる王室は帰国することがなく、イギリス軍がそのままポルトガルを支配することとなります。

1820年革命とブラジルの独立

1820年、イギリス軍の支配に不満を持った勢力を中心に自由主義革命が起こります。ポルトガル本国への帰国を拒み続けたジョアン6世も、革命の知らせを受けてブラジルから急遽帰国しました。

ブラジルはポルトガル王室の滞在を機に大きく発展し、国内ではポルトガルからの分離独立を目指す声が徐々に高まります。1822年にはジョアン6世の長男ドン・ペドロがブラジル初代皇帝ペドロ1世として即位し、ブラジルは独立。ポルトガルは最大の植民地を失いました。

19世紀末には世界でアフリカ分割の動きが高まり、ポルトガルの植民地もアンゴラとギニア・ビサウ、モザンビークに限定されることになります。ポルトガルの財政は非常に厳しい状況となり、共和制が必要だと唱える人々を中心に反王政運動が活発化していくこととなります。

まとめ

建国から長い歴史のあるポルトガルも、ある時はスペインに併合され、またある時はイギリス軍により支配され、決してその歴史は平坦ではなかったことがわかります。このあとはポルトガルの王政の終焉、そしてサラザールの独裁時代についてです。

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