ポルトガルで最も標高の高いセーラ・ダ・エストレラ山脈の麓に位置するベルモンテ。
1500年にブラジルを発見した探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Álvares Cabral)の出身地として有名です。
また中世の頃、追放命令を受けたユダヤ人がこの地に集まり、コミュニティを作りました。今でもシナゴーグ(ユダヤ教の教会)や特徴的な家々を見ることができます。
ポルトガルで12あるヒストリック・ビレッジ(Aldeias históricas)のうちの一つです。
概要と歴史
ポルトガルの歴史と同じくらい古い歴史を持つベルモンテ(Belmonte)。
1199年に時の国王サンショ1世(D. Sancho I)によって初めて勅許が与えられました。そして12世紀後半には岩山の上に城が建設されます。
このベルモンテ城はアフォンソ3世、ディニス1世、ジョアン1世の時代に建設・改築され、今でもその立派な姿を見ることができます。
13世紀、アフォンソ3世よりベルモンテの軍事管理をゆだねられたカブライ家。ベルモンテで有力な貴族として権力を持ちました。この家で生まれたペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Álvares Cabral)がのちにブラジルを発見するという偉業を成し遂げます。
もう一つのベルモンテの特徴としては、大きなユダヤ人コミュニティが存在し今でもその様子を垣間見ることができることでしょう。
13世紀には、すでにユダヤ人社会が栄えていたと言われています。1492年にカトリックの王たちがユダヤ人をスペインから追放した結果、スペインに近いベルモンテで拡大していったと考えられます。ポルトガルでも、1496年にマヌエル1世がカトリックへの強制改宗を命じたり、一連の迫害が行われた歴史があります。
そしてその後、数世紀にわたって儀式や伝統を維持しながら生き残ってきた隠れユダヤ人のコミュニティが生まれました。1989年には、ベルモンテのユダヤ人コミュニティが正式に設立され、1997年にはシナゴーグが発足しました。
歴史的地区の中は2時間くらいで歩けるほどこじんまりとしていますが、歴史的地区を出るとカフェやホテル、スーパーなどもあり、村というよりも町という雰囲気です。
現地の観光案内所では町の地図がもらえます。ぜひ最初に立ち寄り、地図を見ながら町歩きを楽しみましょう。
基本情報・アクセス
ポルトガルの主要都市からベルモンテまでのアクセス方法と見どころについてご案内します。
アクセス難易度
ベルモンテまでのアクセス難易度:★★★
★☆☆…簡単!ポルトガル観光定番スポット
★★☆…やや難。大都市からちょっと足を伸ばして
★★★…奥地。電車やバスを乗り継いで
中部地方のセーラ・ダ・エストレラ山脈付近にあるベルモンテは、観光地としてはまだまだマイナーです。せっかくなので、セーラ・ダ・エストレラ山脈の観光と合わせて訪れると良いでしょう。
ベルモンテまでのアクセス方法
リスボンからのアクセス
バス:
リスボンのセッテ・リオス(Sete Rios)ターミナルからベルモンテのバスターミナルまで約4時間(Rede Expressos社のバス利用・1日2便)です。朝と夜の2本だけなので、朝の便を利用しましょう。ベルモンテのバスターミナルは小さく、タクシーもほぼいません。近くにホテルもないので、真夜中に到着することはお勧めできません。
ポルトからのアクセス
バス:
ポルトのカンポ・ヴィンティイクアトロ・デ・オゴシュト(Campo 24 de Agosto)ターミナルからベルモンテのバスターミナルまで約3時間半(Rede Expressos社のバス利用・1日2便)です。こちらも朝と夜の2本だけなので、朝の便を利用しましょう。
観光の所要時間
ベルモンテ観光の所要時間:半日~1日
主要都市からバスで到着すると、だいたいお昼の時間です。
まずはホテルに荷物を置き、ランチを食べ、街歩きを始めると良いでしょう。できれば一泊して、到着した日の午後と、次の日の出発までの時間を観光すると十分に見て周れます。
ベルモンテの見どころ
ベルモンテにある道は全てがベルモンテ城に通じると言われています。歴史的地区に入ったら、ベルモンテ城を目指して街歩きを楽しみましょう。
探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルの像(Pedro Álvares Cabral)
1500年にカブラルはインド遠征航海を当時の国王マヌエル1世に命じられました。中部地方の貴族で航海の専門知識のなかったにカブラルが、なぜ他の有力者を差し押さえ指名されたのかは明らかになっていませんが、彼は全13隻の船と1,500人の乗組員を引き連れて航海に出ます。32歳だったそうです。
インド遠征の目的は香辛料貿易ルートを確立することでした。リスボンからアフリカ大陸に沿ってまずは南下し、当時すでにポルトガルの入植地であったカーボベルデに到着。その後、できるだけアフリカ大陸から離れるように航海をし、リスボン出発から約1か月後にブラジルの北東部に到着します。1500年4月22日のことです。
ここからポルトガルとブラジルの歴史が始まりました。
ペドロ・アルヴァレス・カブラルの像は、歴史的地区の外、市庁舎の隣の広場に立っています。
大航海博物館(O Museu dos Descobrimentos)
カブラルがどのように航海をしてブラジルを発見したのか、ブラジルの先住民たちはどのような生活をしていたのか、など500年以上前の発見の歴史を知ることができます。
博物館はカブラルの像の向かい側にあります。
営業時間 火曜日から日曜日 9時30分~13時/14時30分~17時30分
休館日 月曜日、1月1日、イースターの日曜日、5月1日、12月25日
旧ユダヤ人街(Judiaria)
ベルモンテの旧ユダヤ人街は、現在の ディレイタ通り (Rua Direita)とフォンテダロザ通り(Rua Fonte da Rosa)(元々の名前はRua da Judiaria)の周辺にありました。これらの通りは、ベルモンテ城から町を見下ろした時に左側に位置しています。
ディレイタ通りの北側には、ベルモンテで最も古いとされる広場があり、当時の建築物の多くが残っています。ここには、花崗岩の平屋建ての小さな家があります。小さなドアはユダヤ人の家の特徴として知られています。
シナゴーグ(Sinagoga)
1989年にベルモンテで、ユダヤ人コミュニティが正式に設立されたことにより、 建築家ネヴェス・ディアスの設計で近代的なシナゴーグが建設されました。現在も使用されています。
エルサレムに面しており、扉と棒にはメノラー、門にはダビデの星が表示されています。13世紀頃にはシナゴーグがあった可能性が高いと言われ、ベルモンテのユダヤ博物館にはその証拠となる石が展示されています。ただ、当時のシナゴーグの痕跡を見ることはできません。
ベルモンテ城(Castelo)
13世紀、アフォンソ3世よりベルモンテの軍事管理をゆだねられたカブライ家。城の管理も任せられていましたが、1446年にはアフォンソ5世はこの城をフェルナン・カブラルに贈与しました。
これによりベルモンテ城はカブラル家の住居としても使用されます。西側の壁には、パノラマ窓やマヌエル様式の窓が残っていることからも、単なる防衛のための城ではなく住居として使われていたことがわかります。
17世紀後半に、家事のため城の西側が崩れ、カブラル家は現在大航海博物館がある場所へ移り住んだようです。
城の面積は約2,265平方メートルで、不規則な楕円形をしています。城壁を上がると町を一望することができます。
2つの門があり、南側の正門付近には18世紀から19世紀に建てられた別の建物が立っています。
1500年にペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに降り立ち、初めてミサをした際に、木で十字架を作ったと言われています。これを模倣して建てた木製の十字架が城の横にあります。
スポットマップ
まとめ
ユニークな歴史があるベルモンテのご紹介でした。
この地から500年以上も前にブラジルへ航海に出た探検家や、ユダヤ人のコミュニティなど、歴史を知っていると町歩きもより楽しくなります。城の城壁に登って町を一望しながら、そんな昔に想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。
ベルモンテのおすすめホテルはこちら
※各施設・店舗の情報は2021年9月の情報です。今後変わる可能性がありますので、最新の情報は公式HPなどでご確認ください。
この記事へのコメントはありません。