こんなにあるの?!意外と知られていない日本語になったポルトガル語

みなさんは、『ポルトガル語』と聞いてどんなイメージを持たれますか?

そもそも「どこの国の言葉なの?」「どんな言葉だろう?」と、想像がつかないかもしれません。

私は幼少期にブラジルに住んでいたことがあり、ポルトガル語はブラジル人が話している言語だと思ってしまっていました。でも、どうして『ブラジル語』ではなく『ポルトガル語』なのだろう?と素朴な疑問を持っていました。

実は、ポルトガル語はヨーロッパにあるユーラシア大陸の西の果て、「ポルトガル」で話されている言葉だと知るのは大学でポルトガル語を学んでからでした。

それぐらい、普段暮らしている中では意識しない『ポルトガル語』ですが、遠い異国との交流は古く15世紀の大航海時代にはじまり、江戸時代初期までは、日本とポルトガルは非常に近い存在で、貿易や文化の交流が絶えない相手だったのです。

ポルトガル語は知らないし、分からないと思っている私たちですが、実は普段している何気ない会話の中にも、ポルトガル語由来の日本語がたくさんあるんです!

今回は、ポルトガル語とは何なのか?ポルトガルとのつながりはどこから始まったのか?を紐解きながら、日本語になったポルトガル語のルーツを辿っていきます。

ポルトガル語とは

ポルトガルやブラジル、アフリカなど9カ国で、およそ2億5千人に話されている言語です。(2021年時点)

ポルトガル語は、ローマ帝国内で使われていた古典ラテン語から派生し、イタリア語やスペイン語などとは兄弟、英語とはいとこ関係にあたる言語です。

ミュージカルで知られる『ラ・マンチャの男』の基になった「ドン・キホーテ」で有名なスペイン人作家セルバンテスが、彼の詩の中で、ポルトガル語を「甘美な言語」と例えるほど魅力的な言葉だと言われています。

「それで『ポルトガル語』って、どんな言葉なの?」

実際、英語やフランス語とは違って、すぐにイメージしづらい言葉ですよね。

90年代に、サッカーが日本でも人気のスポーツとなり始めると、ポルトガル語=サッカー大国ブラジルで話されている言語というイメージが先行しました。実際に、ポルトガル語話者が世界で7番目(2019年時点)に多いのも、ポルトガル語を話すブラジルの人口が圧倒的に多いからです。

しかし、その『ポルトガル語』のルーツは、ヨーロッパのポルトガルにあるんです。

九州とほぼ同じくらいの小さな国でありながら、今でもポルトガル語を話す人々が世界中に点在しているのは興味深いですよね。

一説には、ブラジルで話されるポルトガル語は、1822年にポルトガルから独立した頃のポルトガル語がベースとして継承されていると言われ、一方で宗主国ポルトガルのポルトガル語はその頃からまた変化してきていると言われます。その為、同じ『ポルトガル語』と言っても、一部の単語やイントネーションに違いがあったり、同じ単語でも意味やニュアンスが異なったりすることもあります。また、アフリカで話されるポルトガル語は本国の発音に近いとされています。

こうしてみると、それぞれの土地の文化や習慣が少しずつ影響していることが伺えます。

日本人とポルトガル人の出会い

15世紀、ヨーロッパを中心に輝かしく幕を開けた大航海時代。

ポルトガルの海外進出は、1415年の北アフリカのセウタ攻略から始まります。その後、ポルトガルの大航海時代の重要人物の一人「エンリケ航海王子(Infante D. Henrique)」の指導のもとに西アフリカ沿岸の国々、南アフリカの喜望峰ルートを開拓し、未知の世界”アジア”へと船を進めました。「ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)」によるインド航路ルート開拓に続く航海で、1500年にはブラジルが発見されます。

ブラジル発見の少し前、当時のポルトガル王国とカスティーリャ王国(現・スペイン)は「新世界」への領土獲得で度々、衝突していました。

この状況を打開するため、1494年にローマ法王アレクサンデル6世の勅書によって両国の間で「トルデシーリャス条約(o Tratado de Tordesilhas)」が締結されます。

他のヨーロッパ諸国は一切関係なく、ポルトガルとスペインが世界を2つに分割し、西アフリカ沖のカーボ・ヴェルデ諸島近くを境に西側はスペイン、東側をポルトガルが、その範囲で見つけた場所を自国の領土にしてよいという、今では考えられない内容でした。

その東側の境目近くにあったのが、ブラジルでした。南米大陸で唯一、ポルトガル語を話している理由が分かります。

日本を舞台に話を戻すと、日本人とポルトガル人の出会いは、ある偶然な出来事がきっかけでした。

1540年頃、すでに中国と交易をしていたポルトガルは、中国に滞在していたポルトガル人薬剤師の「トメ・ピレス(Tomé Pires)」が、主に東南アジアでの体験を書いた『東方諸国記』の中で「ジャンポン(=日本)は、商品も自然の産物にも恵まれていない。」と記していたことから、日本はあまり魅力のない国だと思い興味を持っていませんでした。

それは、同時期にヴェネチア商人のマルコポーロが『東方見聞録』で日本を「黄金のジパング」と讃えていた、そのジパングが日本ということを知らなったからです。(ジパングがジャンパンとは思いもよらず、のちに来日10年で、やっとその事実を知ったそうです。)

その為、ポルトガルは日本への渡航はしようとしていませんでしたが、1543年、偶然にも難破した中国のジャンク船が種子島に漂着します。

種子島領主が偶然乗り合わせていた2人のポルトガル人から鉄砲を買取り、これが日本人とポルトガル人の最初の接触となりました。

その6年後、イエズス会(カトリック教会の男子修道会)宣教師「フランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier)」が、日本でキリスト教を広めるため、鹿児島県に到着します。

ザビエルが中国への布教活動へと旅立った後、戦国時代の貴重な資料のひとつ『日本史』を書いた宣教師「ルイス・フロイス(Luís Fróis)」が引き続き、全国でキリスト教の布教を続けます。

上層階級の改宗を目指していたフロイスは、織田信長や豊臣秀吉と謁見します。

地球儀をプレゼントされた信長は、世界に目を向けます。諸外国との交易を奨励し、日本が「銀の島」と呼ばれるほど、各地で銀山(現在の石見銀山など)の整備が進められ、大量の銀が生産できるようになりました。(南蛮貿易)

当時、日本人はポルトガル人などを「南から来た野蛮人=南蛮人」と呼んでいました。次第に交流が深まると、彼らがもたらす珍しい生活スタイルや文化を積極的に、自分たちの文化と融合していきます。(南蛮文化)

1582年には、日本での布教の成果をヨーロッパでアピールする為に、九州のキリシタン大名の子息や親戚であった4人の少年が「天正遣欧使節」として送り出されます。ローマ法王と謁見し、ヨーロッパの偉大さを知らしめ、日本でのさらなる布教活動を促すことも目的のひとつでした。宗教目的だけの渡欧ではなく、活版技術に西洋の絵画や楽器が伝えられ、日本文化にも大きな変化をもたらしたのです。

残念ながら、国家転覆を恐れた徳川家康が「禁教令」を出した1614年以降、公にはポルトガルとの繋がりが薄れてしまいます。(1639年には鎖国がはじまり、ポルトガルは布教も商売の機会もなくなりました。)

最後に、日本語とポルトガル語を繋いだ重要な人物をご紹介します。
布教活動に「言葉」は必要不可欠なツールでした。

イエズス会士で、会計や通訳も担った秀才「ジョアン・ロドリゲス(João Rodrigues)」は、ポルトガル北部のセルナンセーリェ(Sernancelhe)という田舎町で生まれました。

重厚な石造りの街並みと自然が調和する美しい街で、今でも彼の生家が残されています。
(今回は関係はありませんが、リスボン大地震から街を復興させた宰相・ポンバル侯爵もこの町の出身で、こちらも立派な屋敷の生家が残っています。)

少年だったロドリゲスがイエズス会に入り、この小さな田舎町から、遠く離れた日本に向かったと思うと感慨深い場所です。(1580年頃)

日本に長く滞在していた彼は、語学の才能を評価され、長崎で1603年にヨーロッパで最初の『日葡辞書』を編纂・刊行する偉業を成し遂げます。
(これを基に、ヨーロッパ各国が日本語辞書を作るきっかけにもなりました。)

辞書に載った語彙は約3万2千以上にのぼり、ローマ字表記の日本語にポルトガル語による意味と注釈がつけられた非常に完成度の高い辞書でした。ある説には「辞書」という言葉も、ポルトガル語で同意の「ジシオナーリオ(dicionário)」が転じたのではないかと言われています。 

大航海時代の予期せぬ「出会い」から今日まで、日本の歴史的な瞬間にポルトガルとの関りが深いエピソードが多く残っていますね。

ジョアン・ロドリゲスの生家(セルナンセーリェ)

日本語になったポルトガル語

ここからは具体的に、どんな言葉がポルトガル語起源とされているのかを見ていきましょう。
(※それぞれのルーツには、断定できないものや諸説あるものもあります。)

長崎の出島でポルトガル商人との交易が盛んであった頃には、主にポルトガルの製品や習慣を表す約400語が日本語になっていたそうです。

今回はその中でも有力なポルトガル語由来のことばを例のように、ご紹介していきます。

<各ジャンル>

・日本語で使われている意味

ポルトガル語での発音と意味、エピソード

<食べ物編>

・かぼちゃ

ポルトガル語では、「abóbora(アボーボラ)」と言います。かぼちゃは、九州の方言で「ぼうぶら」とも呼ばれていて、このアボーボラが訛って「ぼうぶら」になったのではないかと言われています。

また、大航海時代にポルトガルの寄港地であった”カンボジア(Cambodia)”から来た野菜という意味で、カンボジア→カボチャになったという説もあります。

・ケーキ(焼き菓子)

ポルトガル語では「bolo(ボーロ)」と言い、日本のホールケーキなど焼き菓子全般の総称です。
ふわっとした優しい味わいの主に九州でポピュラーな南蛮菓子「丸ぼうろ」は、ポルトガル北部の郷土菓子「カヴァッカ(cavaca)」が起源とされています。

今でも、通称 ”シュガーロード”と呼ばれる長崎街道沿いを中心に愛される佐賀県の銘菓で、ポルトガルとのつながりを感じられるスイーツのひとつです。

・飛竜頭(ひりょうず)

ポルトガルのクリスマス定番スイーツ「filhos(フィーリョス)」が訛ったものとされます。
小麦粉とかぼちゃで作られる揚げドーナツのようなもので、見た目が日本のがんもどきや飛竜頭に似ています。

日本の”filhos”は、がんもどぎに似た豆腐製品ですが、ルーツがポルトガルとは意外ですよね。

・天ぷら

ポルトガル語では、揚げ物は一般的に「フリットス(fritos)」と言います。

「天ぷら」の語源は諸説あって、「調味料」という意味の「テンぺーロ(tempero)」が訛ったとか、キリスト教の習慣で「断食」を意味する「テンポラス(têmporas)」からくる言葉であるとか、今も見解が分かれています。

大名からはじまったキリスト教改宗が庶民にまで広がると、キリスト教に入信した日本人たちの中でも、キリスト教の習慣であるこの3日間の断食「テンポラス」を行っていたのではないかと考えられています。

つまり、この期間に肉ではなく、野菜や魚を揚げたもの(精進料理)を食べていたことから、”テンポラス”が”天ぷら”に転じたのではないかという説が有力となっています。

詳しく紹介した言葉以外にも、パン(pão)、マルメロ(marmelo、日本では”西洋かりん”とも呼ばれ、ポルトガルから長崎に伝えられました。咳止め効果もありますが、ポルトガルでは主に、ジャムとしてチーズやパンに塗って食べています。)おやつのビスケット(biscoito)、キャラメル(caramelo)もポルトガル語由来です。

そして、日本でもここ数年でブームになった色とりどりの金平糖や生カステラは、ポルトガルから伝わったお菓子とされています。

金平糖はポルトガル語の「砂糖菓子」を意味する「コンフェイト(confeito)」からきていて、逆にポルトガルでは日本の金平糖がポルトガルルーツであることが知られるようになり、両方の国で注目されています。

カステラのルーツには、いろいろなエピソードがあります。スペインのカスティーリャ王国で食べられているお菓子だったとか、ポルトガル語の「城」を意味する「カステーロ(castelo)」が転じて名付けられたなど他にもいくつかあって、ひとつに絞れません。

ポルトガルでは、カステラは「パォン・デ・ロー(pão-de-ló)」と呼ばれ、地域によって日本で流行った生カステラのように半熟なものから、スポンジケーキのようにふわふわしたものまで、製法が少しずつ違うのも面白く、エッグタルトに並ぶ”国民的スイーツ”です。

ポルトガルスイーツに興味を持たれた方はぜひ、日本にも少しずつポルトガル菓子専門店が増えてきていますので、探してみてくださいネ!

<衣服・日用品編>

・レインコート(雨がっぱ)

ポルトガル語で「カーパ(capa)」と言います。(日本語のカッパより、少し伸ばした発音です。)

”カーパ” が転じて ”かっぱ”となったとされ、ポルトガルでは、「(主に布で出来た)マント、外套」の意味で使われています。

戦国武将・織田信長や豊臣秀吉も、異国から持ち込まれた袖なしの外衣(アウター)のことを「カーパ」と呼んで重用していました。このカーパの素材もまた、ポルトガルから伝えられた「羅紗(らしゃ)」だったのです。(ポルトガル語で「ラーシャ(raxa=毛織物の総称の意味。)
少し毛羽だったフェルトのような表面で、丈夫で保温性が高いことから、軍服としても使用されていました。

当時の日本人にとっては、日本にはない珍しい素材や製法、デザインにきっと心惹かれたのでしょう。戦国大名とポルトガル商人や宣教師たちとの交流が盛んであったことが伺えますね。

その後、カーパは私たちが使っている「雨がっぱ」の意味で広く使われるようになっていきました。

軽衫(かるさん)

ポルトガル語では「半ズボン」の意味で、「カルサォン(calção)」と言います。南蛮貿易でポルトガル人から伝わったものとされ、当時の様子を描いた屏風絵からは、ポルトガル人=南蛮人の裾幅が狭く膨らんだズボンを履いていた様子が特徴的に描かれています。

大きく形は変わりませんが、時代の経過と共に軽衫は日本人の体形や生活にあったものへと改良されていき、現在でも袴の一種として農作業等で活躍しています。

先ほどの雨がっぱと同じように、織田信長や豊臣秀吉も愛用していたとされます。江戸時代には武士の旅装として、近代になってからは、動きやすさから労働着として特に農民の間で広まり、身分を問わず使われるようになりました。

・襦袢(じゅばん)

ポルトガル語は「ジバォン(gibão)」で、意味は「(首から腰までを覆う)昔の胴衣」です。軽衫と同じく、後から音に合わせて漢字を当てました。

日常ではほとんど使わない単語ですが、浴衣や着物を着る機会があると、下着として「長襦袢」や「肌襦袢」と言った名称を耳にすることがあります。

これらの言葉以外にも、ポルトガル語で「靴下」を意味する「メイアス(meias)」が転じて、日本語では「メリヤス(手織りではない機械編み布の総称。)」となったり、ポルトガル語の「ボタォン(botão)」がそのまま発音も意味も日本語で「ボタン」になったりしているんです。

素材では、羅紗以外に上品で滑らかな手触りの「ビロード」も、ポルトガル語起源だとされています。(ポルトガル語では「ヴェルード(veludo)」)

もっと身近なものでは、「石けん(サバォン、sabão=日本語のシャボンに転じた)」や「たばこ(タバッコ、tabaco)」もポルトガル語です。

何気なく身に付けたり、使っていたりするものの多くに、ポルトガルから伝わったものが関係していると思うと、少しポルトガルが身近な存在に感じてきましたね。

<キリスト教に関係する言葉>

15〜16世紀の南蛮貿易で、多くの品物が日本へとやってきます。
本当のところ、ポルトガルやスペインは、交易とは別に大きな目的を持ってやってきていたのです。

それは、キリスト教の布教です。日本に限らず、ポルトガルは「発見」した土地での交易の代わりに、布教活動の許可を条件としていました。

前述したザビエルやフロイスなどの宣教師たちによって、まずは支配階級の大名から改宗がはじめられました。

特にポルトガル人が漂着した種子島に近い九州は、良き貿易相手としてポルトガルとの関係強化を望んだ大名を中心に、庶民にも信仰が浸透していきました。

2021年に開港450年を迎えた長崎は、ポルトガル船初入港の街であり、ポルトガル人と長崎の人々が同じ街の中で共存してきたゆかりの土地です。その為、今でもカトリック教会やコレージオ跡(神学校)など、ポルトガルゆかりの場所が大切に守られています。

16~17世紀の秀吉の伴天連追放や家康の禁教令で、西日本を中心にポルトガル宣教師や日本人信者にとって重く悲しい受難の時代を迎えますが、「隠れキリシタン」として密かに信仰を続けたことで、多くのポルトガル語が語り継がれてきました。

長崎以外でも、隠れキリシタンの歴史に触れることができます。
(キリシタン大名であった高山右近ゆかりの大阪府高槻市などが有名です。)

 高槻市観光協会公式サイト たかつきマルマルナビ 

キリスト教に関係する単語は多くあるので、一挙にまとめてご紹介します。
(※以下、・日本での言い方(意味)… ポルトガル語での言い方や説明の順 に並べます。)

・オラショ(祈り)…「オラサォン(oração)」日本でも祈りを捧げることを意味します。

・キリシタン(切支丹)…「クリスタォン(cristão)」キリスト教信者のこと。

・デウス(神)…「デウス(Deus)」九州地方のキリスト教信者の中では、キリストのことを「デウス様」と呼んでいることがあります。

・ロザリオ(数珠)…「ホザーリオ(rosário)」教会で祈りを捧げる際に使う道具。日本の数珠と比べるとペンダントのように長めで、十字架があしらわれています。

・バテレン(伴天連)… ポルトガル語で「神父、司祭」を意味する「パードレ(padre)」が転じた言葉とされます。日本の歴史でも有名な「バテレン追放令」にも使われていることから、この単語を知っている人も多いかと思います。

バテレン追放令とは・・・豊臣秀吉が1587年に発布した宣教師を国外追放にした命令です。交易は続けられ、キリスト教は個人の信仰に留めるのであれば許されていました。後の徳川家康の時代に「禁教令」(1614年)が出ると、一切の布教活動および信仰が禁止されることになります。

・オルガン(パイプオルガン)…「オルガォン(órgão)」9世紀頃には、キリスト教の教会や修道院で設置されるようになり、今では教会典礼に必要不可欠な楽器となりました。天正遣欧使節の少年たちも、ポルトガル各地の教会で、見事にオルガンを弾いて聞かせたと語り継がれています。

・クルス(十字架)…「cruz(クルース)」イエス・キリスト磔刑のシンボル。ポルトガルとのつながりが深い長崎には、同名の銘菓があります。長崎定番のお土産にも、ポルトガル語ルーツがありました!

<その他>

思わず誰かに話したくなるポルトガル語由来の日本語は、まだまだあります!

・カルタ

ポルトガル語では、「手紙・地図・メニュー」と色々な意味がある単語で、トランプという意味もあるのですが、主に文通する手紙を指す意味で使われることがほとんどです。

一方で、日本では「歌留多」「加留多」など複数の漢字が当てられ、どちらかというと絵札を用いた遊びのことを指すようになりました。

・ビードロ

「ビードロ」と聞いて、あのちょっと粋な郷土玩具を思い浮かべた人もいるでしょう。

ビードロはポルトガル語で「ヴィードロ(vidro)」=ガラス(製品)を意味します。「ぽっぺん」と音を立てて遊ぶ愛らしいおもちゃのビードロは、江戸時代の浮世絵にもその様子が描かれるほど。

ステンドグラスのような鮮やかに彩色されたフラスコ状の細長い先端に、息を思い切り吹きこんで音を鳴らします。フラスコもポルトガル語の「フラスコ(frasco)」が起源とされています。あの理科室の実験で使ったフラスコです。

・おんぶ

ポルトガル語で「肩」を意味する「オンブロ(ombro)」が転じたとされます。

・たんと~

「たんと食べなさい。」や「たんとおあがり。」の”たんと”は、CMやドラマのセリフでしか聞かなくなったフレーズのような気もしますが、これはポルトガル語の「それほど多くの(大きい)」の「タント(tanto)」から来ていると言われます。

・先斗町(ぽんとちょう)

諸説ありますが、京都市の繁華街「先斗町」の町名もポルトガル語が起源とされているんです。”ぽんと”はポルトガル語で「点・先端・ポイント」などの意味があります。

”多くの人々が集まり賑わう様子”(”一点”に集中している。)から名付けられたとも言われていて、趣ある飲食店が建ち並ぶ光景からは一見想像できないポルトガルとのつながりに感心してしまいます。

もし、京都でポルトガル語圏の友人を案内するなら必見スポットですね。日本人も「へぇ〜」と唸る小話になりますね。

最後に、一時期「ありがとう」は、ポルトガル語の「オブリガード(obrigado=ありがとう、という意味。)」に似ていると言われてきました。しかし、最近の研究では日本語の「有難い」が変化してできたた日本古来の言葉という見解が優勢になっています。

『参考資料引用元(ホームページ)』

・徳島日本ポルトガル語協会 「日本語になったポルトガル語」
・ncultura 「26 palavras japonesas de origem portuguesa」
・ncultura 「Português: 30 palavras japonesas de origem portuguesa」 他

ポルトガルでも通じる日本語

ここまで、日本語に影響を与えたポルトガル語を見てきましたが、少しだけ日本語がポルトガル語になったいくつかの単語をご紹介します。

・「屏風」biombo(ビオンボ)… リスボンの国立古美術館には、貴重な日本の屏風絵が展示されています。

・「寿司」sushi … ポルトガルのテレビドラマの食事シーンで、テイクアウトの寿司が出てきたことがきっかけで、ポルトガルではちょっとした寿司ブームが来ているそうです。箸を使って食べるところもカッコイイと若者にも人気だそう。

・「津波」tsunami … ポルトガル語で「マレモット(maremoto)」とも言いますが、ポルトガルのテレビニュースでも、「tsunami」と言っていることが多くなりました。

・日本の車やバイクのメーカー名 … 性能がいい!壊れにくい!と人気な日本車やバイク。日本から来たと話すと、あるポルトガル人は車のメーカー名を言って、続けて「それらを作っている国から来たんだね!」と、笑顔で返してくれることもありました。

・「かわいい」kawaii … アニメや映画でのセリフで耳にしたことがあるそうです。

・「絵文字」 emoji … SNSの普及で顔文字や絵文字が使われるようになり、そうしたアイコンをそのままemojiと呼ぶようになりました。

ご紹介した言葉の中にはポルトガルに限らず、世界的に知られている日本語にもなりますが、これ以外にも思いがけず、ポルトガル人から意外な日本語で話しかけられるかもしれませんね。

まとめ

日本語に、こんなにたくさんのポルトガル語由来の言葉があったなんて、びっくりですね!

発音も意味も同じものから、日本人に伝わってから日本文化に合わせて発展したものまで、ひとつひとつの言葉に由来やエピソードがあります。

「ポルトガル」や「ポルトガル語」と聞いて、遠く離れた国や言葉に思えていたものが、この記事を通してグッと身近に感じていただけたら、とても嬉しいです。

ポルトガル人も、中世の日本との歴史的な背景を抜きにしても、日本語や日本の製品を通して、私たちの文化に親しみを持ってくれています。

言語はコミュニケーションの”手段”に過ぎないかもしれませんが、言葉を通して、その国の成り立ちや文化、そこで生まれた言葉の持つ意味やルーツを知ることができ、異なる文化の交流を助けてくれる大事な役割も担っていると思います。

日本人にも、ポルトガル人にも「こんな日本語になったポルトガル語があるんだよ!」と話題にしてみたら、もっと会話が弾むかもしれませんね。

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